| ここにたどり着くまでの道すがら、ただの一軒も営業している飲食店も商店も無かったのだ。お店が無かったのではなくて、開けているお店が無かったのだ。この深刻な状況に、なぜ、海岸沿いの浜通りで丸二年経った今でも、宿が取れなかったのかその訳を知ったのだった。首都圏では全くと言っていいほど、現地の今は、報道されていなかった。 日本ではいつどこでも大地震が起きても不思議ではない国であり、地域なのだ。20年前におきた、阪神淡路大震災で被災されて、いまだに再起復興されてない人たちもいる。東北大震災で被災された方々の3年目が、いつ自身の事とならないと言う保証はない。と強く感じた四人組とプラス1だった。 「何かできることをしなくては」と弥生が言うと、「政治を変えないといけませんな。」師匠がぼそりと言った。皆この現状を見て、心に秘めた思いがあるようだった。ややしばらく沈黙が続いた。 丸々一年以上、全国の原発が稼働を止めていた。再生可能発電の普及もあって、省エネも進み、夏場も冬場も電力は足りていた。にもかかわらず川内原発を、60%近い反対の声をおしきって、再稼働した。自治体の避難計画も、策定されないままの |
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